2016年 07月 02日
昭和の助産所
昭和の、まだ施設分娩がさかんになる前、
自宅分娩や助産所分娩がさかんだった頃の
昭和37年~53年の間、助産院として経営されたとか。
経営されていたMさん(お産婆さん)はもう亡くなられてしまったのですが、
その人生の記録が
「あしあと」と言う自主出版本に記録されていました。
何と、取り扱った分娩数4500例
頭が下がります。
イモイモの仲間のTさんが
このお家の家主さんと知り合いで
近々、このお家が改築されるとのこと。
せっかく診察室と分娩室が残っているので…と
声をかけて下さった。
家主さんのひいおじいさんの時代の出来事だとか。
ここの奥の部屋が分娩室
広い廊下
ここで何千もの命が誕生したのだなぁ…
勿論、正常分娩だけでなく、難産も死産も早産も流産も
ホーローの流し台?ここで産まれた赤ちゃんがお風呂に入ったのかなぁ。
最後にMさんの写真と詩編が
このMさんは、クリスチャンでした。
もう、ここで鳥肌が…。
そしてH教会の牧師さんが
このMさんを表現するなら…と
この詩編の詩を記載しています。
詩編126篇 5~6節
「涙をもって種をまくものは
喜びの声をもって刈り取る
種を携え、涙を流して出て行く者は
束を抱え、喜びの声を上げて帰ってくるのだろう」
Mさんと
天国でお会いできるのを楽しみに。
お産の時、日常で
常に祈り、偉大なる神様を側に感じていたのではないかと
何だか近くに(勝手に)感じるMさんに思いを馳せながら
帰途につきました。
感慨深いです。
by oka-ayuharu
| 2016-07-02 22:01
| 仕事